クラブ愛のありか

こちらをよんで。

http://senda1.tsukuba.ch/e36222.html

スター軍団によるスーパープレー
 世界の名将率いる巧みな戦術
 常に満員の熱狂的スタジアム
 うまい酒とスタ飯
 かわいいマスコットキャラクター
 …
クラブやスタジアムの魅力って何だろう??と考えて
思いつくものをざっと書き出してみる。

もし、愛するクラブから、それらを全部取っ払ったとき
クラブを愛する人の心に最後の最後まで残り続けるのが
「地元にあるクラブだから」


 実際のところ、福島は解散によってJFLという全国の舞台で戦う事とJへとつながる道を失いました。
 ベガルタをはじめ、当時同じリーグにいたチームのほとんどは今Jリーグにいます。
 地域リーグに今ある、後継的存在のプリメーロを愛し続ける、という選択をした人は当時のサポーターの人数からするとほんの一握りにしかすぎません。そしてその中で当時から今に至るまでかなり熱心に応援をしている五十嵐氏は浦和在住の人だったりしますし、関東をはじめ他県に在住の人(北海道から毎年やって来る人もいます)今はたまたま福島に住んでいるけど生まれ育ちは他県という人も何人もいます。


 一方で、県内ではここ数年の間、いくつものクラブがJを目指す事を標榜し、そのたびにそこに人が集まり、ばかばかしい理由でとん挫するという事がくりかえされています。
 また福島在住でベガルタや鹿島や浦和などの熱心なサポーターで、福島のチームがJに昇格したら「応援してもいい」という人もいます。
 そのような状況に身を置いていると、地域愛はクラブを愛するための大きなきっかけであるだろうけど、クラブ愛と地域愛の間にあるものは実にはかないものである、という無常観を持つようになるものです。


クラブ愛のありかはどこなのか。


あまりにもサッカーとはかけ離れた世界ではありますが、私はいつも星の王子様のこんな一節を思い出します。

星の王子さま―オリジナル版

星の王子さま―オリジナル版

「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思っているのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」

「人間っていうものは、このたいせつなことを忘れてるんだよ。だけど、あんたは、このことを忘れちゃいけない。めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。まもらなきゃならないんだよ、バラの花との約束をね・・・」

 

 事あるごとに、このきつねの言葉を繰り返し読み返しています。
 かかわり続けた経験の中からかかわり続けるだけの愛情が生まれ、さらに能動的にかかわろうとする責任感を伴った気持ちへと繋がっていく中でそのチームがかけがえのないものになっていく。その過程の中で、地域のクラブであることは大きな要素ではあるけれど絶対とまでは言えないのかな、と思っています。


 そして、同じサッカーの試合を見ていてもそうなる人とならない人がいるし、そういう人が多いクラブと少ないクラブがある。


 サッカーに限らず、スポーツはリアルタイムでその場にいる知っている人とも知らない人とも悲しみも悔しさも喜びも分かち合う事ができるのが大きな魅力になっています。
 人が集まる、熱狂的なサポーターがいるクラブは、サポーターもクラブ側も「分かち合い」を味わう場面を作り出すことに非常に長けていますし、また観客もそれにうまく乗れるだけの意識の共有があるように見受けられます。そうやってサッカーが文化として形作られていっている所は本当にすごいしうらやましいですね。


 個人的に、クラブ愛って元々は吹けば飛ぶような幻想に過ぎないと思っています。
 だからデリケートで危ない面が多々ある。
 我こそは熱いサポーターであると思うとクラブ愛やサポーターのロジックを当たり前の事にしてしまいがちなんですけどね。