心ひかれるもの。

つくばでバレーを見てきてから人に話したり*1
いろいろバレー界について調べてみたりしながら*2
つらつらと考えてた。
私が通った学校のバレー部は、今思い返してみると
中学は県代表になるレベル、高校は春高に出た事があり、
大学は調べてみてのけぞったんだけど実は結構な強豪、
父の会社のバレー部もそこそこ強豪だった。
そんなサッカー以上にすぐそばにあったバレーに
ほとんど関心を持たなかったのに、
見ず知らずの人に囲まれて初めて見たチームのバレーに
心動かされたのはなぜなんだろう、と。


それはサッカーを見ながらずっと考え続けていた事にも
繋がるんだけど、こんなことなのかな、と。

スポーツは「良い子」を育てるか (生活人新書)

スポーツは「良い子」を育てるか (生活人新書)

あとがきから引用。

 私はこの本の中で終始、「人はなぜスポーツをするのか」という問いを投げかけてきました。そうした、いわば哲学的な思索なしにスポーツを続けていると、スポーツはやがて、勝つことがすべてという、刹那的な興奮を得るための浅薄な行為になってしまう危険があるからです。強ければいい、勝てばいい、という価値観がスポーツの前面に押し出させるとその勝者に突きつけられる次なる要求は、より多くの勝利、より興奮するプレーとなり、それは際限なく続くことになります。やがて人々は、際限ない自分の要求に応えきれなくなったスポーツに興味を失うかもしれません。

少年期のスポーツ指導の問題点を指摘した本なんだけど
読みながら10代の頃の自分の、体育会系に抱いていた
感情を思い出した。
今となってはそこに何かしらの哲学があったかどうか知る由も無いけど、
自分自身、スポーツが苦手だというコンプレックスもあいまって、
勝つためにある、あれやこれやを見聞きするにつけ、
勝つことってそんなに意味があるのかなぁ、という気持ちにさせられたのだ。


勝つためにある、あれやこれやは多かれ少なかれ
どの選手も通ってきた道なんじゃないかと思う。


その道の先にそれぞれの選手が選んだり選ばれたりして
今プレーするチームがある。

勝つことの意味がそれぞれのチームに、選手にある。
勝つことで手に入れたいものがそれぞれにある。

それらを知ることで同じものを見ているはずなのに、
がらっと光景が違って見えてきた。
音として耳を通り抜けていた外国語が意味を持って伝わってくるみたいに。


勝つことで手に入れたい何か。


それが何であるかは勝つかどうか以上に私にはとても心ひかれるもので、
私もその何かを一緒に手に入れたい、と感じたとき、思わず声を出して応援したり、
自分に何ができるか考えたりするようになったんだな。

現場にいる時はただただ楽しいし必死なんだけど、
こうやってあーだこーだ考えを巡らすのもいいもんだ。
いろいろ気づくことがありますね。

*1:意外な人が実はバレーの選手経験があったりして驚いたり。どどーっと選手名を連呼されて圧倒された

*2:いろいろ、いろいろ、いろいろと、ありますね。生気を吸い取られるあれやこれや。