犬身

犬身

犬身

昔、松浦理英子の小説を貸した友達に
「この人の話を読んでいると回る扇風機の羽に
痛い目を見るのを承知で指を差し入れたいような気持ちになる」と
感想を返してもらったことがある。
それから十数年。
松浦氏の新作とあればやはり買わないわけにはいかないと
大きめの書店にいったのだけど、なかなか見つけられない。
店員さんに頼んで持ってきてもらったその本に巻かれた帯の
コピーは、

「あの人の犬になりたい。」

ときたものだ。
買いに行く前からある程度のあらすじは知っていたけど
この帯に動揺してしまうあたりからもうこの本の世界に
取り込まれているも同然。

自分自身の魂の半分は犬なんじゃないか、と
幼いころから感じ続けていた房恵は心細やかに飼い犬を愛する梓に
犬として愛されることを夢想する。
そんな房恵に、ある条件と引き換えに犬の体に変えてやろうという
怪しくも魅力的な誘いがかけられる。

と、このあらすじではなーーんにもこの話の本質は伝わらないのです。
人魚姫の逆バージョンというか、人の身では得られないものを
犬の身となって得る至福。

でも言葉を失うという点は人魚姫と同じだね。
まったく外部と意思の疎通ができなくなるわけでもなく、
犬に変えてくれた魔物?とはいつでも会話できるのが面白いところ。

話の中である登場人物が書くブログが話を展開させるカギとなっていて
これが恐ろしくて愚かで醜くてきもちわるくて読んでいて おぇーーっ、となった。
その部分を読んでいる最中、あまりの毒気にギャーと叫んで
パソコンを立ち上げてこの日記をデリートしたくなったが、
消したところで書いてきた事実も消せないしなーと思い直した。

この本を手に取ったとき、みっしりとした厚みと
濃そうな内容に今の私が読めるかどうかちょっと不安だったけど、
505ページ、一気に読みふけることができて幸せすぎる。

憎むべきものに対してまったく容赦ないところとか、ちょっとした文章の癖とか、
冷淡さと濃密さの描写の対比とか、そんな部分がやけになつかしく、
安心して読めた。加えて、長さがあるから作品のテーマがわかりやすい。


それにしても「肉い」という表記*1は、ブログというかネットの気持ちわるい側面をうまく表現しているとおもう。
ちょっとぐぐってみよう。

・・・ぐぐってみたけどあんまり言及されてないですね。

*1:憎いの誤変換ということで作中多用されている