日本体育協会・日本オリンピック委員会創立100周年記念シンポジウム 福島会場(ビッグパレット福島)


知人のお誘いでこのシンポジウムに参加してきました。
[PDF]日本体育協会・日本オリンピック委員会 創立100周年記念シンポジウム 福島会場
一連のシンポジウムは、今回の福島会場から始まり、京都、広島、そして東京で総括となります。
会場はざっと見て数千席ぐらいはあったでしょうか。
記念式典的な催しということで、東日本の各都道府県の競技関係者、体育協会関係者の皆さんが参加者の大半を占めていたのではないかと思います。
福島会場では「スポーツによる「公正で福祉豊かな地域生活」の創造」というテーマにそった講演とパネルディスカッションが行われました。
少しずつまとめていきます。まずは第一弾。

基調講演「夢があるから強くなる」川淵三郎JFA名誉会長

  • JヴィレッジJFAアカデミー福島がある福島。アカデミーからはFC東京でプロとなった選手、シャルケユースに入った選手がいる。
  • クラマー氏の提言によって1965年に開幕したJSL。大学での活動が中心だったスポーツの強化が、企業スポーツへと移り変わっていった。
  • 限られた代表選手を集中的に強化するのが当時のやり方だったが、競技力、人気ともに低迷の一途をたどっていった。
  • ワールドカップを日本でやらないかという話がきたあたりの絡みで「私も独裁者とか言われますが、アベランジェはもっと独裁者」みたいなネタ?が。会場、けっこう沸いてました。
  • 1960〜1980年代は企業スポーツ全盛の時代。サッカー部には2〜10億円の予算が投じられていた。
  • 25年間JSLをやってきたが、サッカー界に発展は無かった。そのため、徐々にステップを踏むやり方では発展は望めないと思った。プロ化にあたって最初から大きなハードルを設け、加盟したいクラブにそれをクリアさせるというやり方をとった。
  • フジタか住金、どちらを加盟させるか。フジタだと神奈川にクラブが4つになる。とはいえ、住金のホームとなる鹿島は条件が厳しかったが、次々と出された条件をクリアしていった。
  • 鹿島のボランティアの行動指針。不快感を与えない。クラブへの印象のマイナスにならない。自覚を持って行動する。何かを生み出すのではなく、嫌な気持ちにさせないという無理のないラインを守る。
  • Jリーグができた街では家族や子どもとの会話が増えたという効果が大きい。
  • 子どもの体力低下について。全力で体を動かして遊ぶ機会が少ないため、脊柱起立筋が発達しない。姿勢が悪く、力が入らない。体の動かし方がぎこちない。
  • JFAではU6世代に体を使う運動をさせる活動や校庭芝生化などの活動を通して子どもの体力作りについて働きかけている。また、小学校に専科の体育教師が配属されてほしい。身近に専門の指導者がいることでスポーツに親しむきっかけとなり、アスリートのセカンドキャリアとしてもいいのではないか。
  • 子どもばかりでなく、老人ホームなどにも芝化を進めていきたい。地域のリーダーを中心としたスポーツの環境が作られていってほしい。

感想

この記事をまとめるにあたり、ざっくりぐぐってみましたら、川淵氏が同タイトルでされた講演のまとめを発見しました。
yocchi-football.net 【講演メモ】川淵三郎氏「夢があるから強くなれる」
導入部分にあたる、JSLからJの創成期のお話は講演をする際のテンプレート的な内容に当たるのでしょう。
何度か見聞きした事のあるJ創成期までとそれからのお話ですが、実際に当人の口から聞く事でまた新たに感じるものがありました。
Jリーグを目指すクラブの中には、身の丈の継続の先にではなく、まず大きなハードルを飛び越えてプロになることで認知されていく、というクラブがこれまでに結構あったのですが、Jを始めるにあたっての考え方と似ていることに気付きました。Jリーグへの入会を目指しているので当然といえば当然なのですが。
Jが地域密着という形で見る側に主体性を自覚させたことは当時の日本社会においては画期的なことであり、各地域やスポーツに留まらない各分野に大きな影響を与えました。
その意味を再度深く理解できたように思います。
そして、Jが始まってからまもなく20年となる今、改めて身の丈の継続の先に生まれる発展の可能性を考える時期なのではないか、そんなことも考えました。