福島の地で、放射線の中でくらしていくということ。

郡山市に住んでいる私(30代独身おんな子どもなし)が
放射線に対して自分が感じていること、
身の回りのようすなどについて書いてみようとおもった。


ちなみに現在、福島県内の放射線量は計画的避難地域に次いで
福島市郡山市が高い数値です。
福島県内の小中学校等の放射線量マップ

  • 放射線に対する意識の移り変わり

原発に関するトラブルが伝えられ始めたころ、
放射線に関する情報がかなり少なかったことと、
余震活動が激しかったこともあり、自分も自分の周りもほぼパニック状態。
マメールやデマ電話もかなり出回っていた。


さらに事態が深刻さを増してきた14・15日ごろ、
家族と避難について具体的に検討したし、実際に避難した人も多い。


職場は余震や燃料不足もあり、業務を続けることが困難であるとして、
3月16日より約1週間の自宅待機となった。
12日からの1週間ほどは、ネットでも実際の知り合いからも、
「町内で自分しかいないんじゃないかと思った」という声が多かった。
それぐらい、街中は人影が少なく、とても静かになっていた。
とはいえ、私はほぼ屋内退避に準じた生活を送っていたので、
そのころの外の様子がどうだったのかはあまり分からない。


2週目から仕事が再開。
3月中はガソリンが極端に不足していたので
近所に住む同僚と乗り合わせて通勤していた。
車内で原発福島県の今後や放射線の影響について話し合ったし、
やっているお店や、売っていた食べ物などの情報交換もできて
この乗り合わせはかなり有意義だった。


街の中には人の姿が戻りつつあったけど、
子どもたちの姿はほとんど見かけなかった。
子どものことは家から出さずにいたか、避難させていた人が多かった。


レジに並んでいた時、後ろのギャルママたちが、
「○○ではヨウ素配ったらしーよ」
「郡山でもやってくんねーかな」
「あんたウチより若いんだからあんま外とか出んなよ。気を付けなよ」
なんて、ごくふつうに会話している感じ。


ただ、4月に入って、子どもたちの学校が始まり、
仕事も震災前のペースに戻りつつある今、
放射線に対する警戒は全体的に緩まりつつあるような、
それともマヒしつつあるような、開き直りつつあるような、
そんな雰囲気も出てきている。


数日間、つてをたどってガイガーカウンターを借りることができた。
家の外の土のある部分は各学校の調査とほぼ近い数値。
木造の家の中ではほぼ半分から3分の1ぐらいになる。
鉄筋の建物だと、1割〜2割程度。

週の大半を自宅と職場を往復するとみて積算量を考えると、
一年間、このパターンで生活をするとして、10mSvには届かないぐらい。
ブラジルにあるガラパリという自然の状態で高放射線が出ている地域がある。
そこもだいたい年あたり10mSv。現地ではリゾート地として有名らしい。
それを根拠に、ここで暮らすのは何とかアリかなと自分なりに納得した。
もちろん、天然の状態であるのと人工的な場合とは条件違うし、
内部被曝については未知数だし、ノーリスクではないという覚悟もしている。

  • こどものこと。

街中では次第にこどもたちの姿を見かけるようになってきた。
大概のこどもはマスクをしているけど、
中学生、高校生と年齢が上になるにつれマスク率は下がる。
高校生は自転車で学校に通っているコも多い。
元々、このあたりは公共交通機関が発達していなくて、
バスなどで通学するのはとても制約がある。


こどもたちの居場所である、公園や校庭、おそらく草地などは、
放射線量は逐次発表されいる各地域の測定値より数倍高い。
そして、これから10年、20年かけてどのように放射線量が推移するか。
もし、これからも当分、今ぐらいの強さの線量が出るならば、、
やはり、じぶんにこどもがいなくてもそれはすごく考えてしまう。

大人たちは口をそろえたかのように言う。
「私たちはいいんだけれど、若い人たち、こどもたちが気がかり」だと。

大人なら、家に1日いるのもさして苦にはならないし、
気分転換に車などで出かけることもできる。
でも、こどもはそうはいかない。
こどもが外で元気に遊ぶ様子を、スポーツをする姿を
今は、ほほえましいものとして見守ることができない。

こんな状況なのだけど、私の知人は不妊治療を再開した。
この福島で子どもを授かり、育てたいと切望している。
彼女は医療職なので、放射線の人体への影響についての知識がある。
周囲からの助言も得られている。
以前よりは病院は混んでいないというけれど、やはり患者さんはいるそうだ。
子育てにはこの先、様々な不安と困難が予想されるこの福島で
こどもを授かり育てていきたいと望んでいる人もたしかにいる。


私は、今から子どもを持てるかどうかはかなり厳しい年齢。
持とうという"努力"も、パートナー探しを含めて積極的にはしてこなかった。
初婚年齢が低く、全国でも出生率が上位に入る福島では
これまでもけっこう風当たりが強い立場だった。


ただ、今この状況になってみて、
過去から命を引き継いでこの世に生を受けたというのに
こどもを持とうとしなかったのは生き物として傲慢だったな、
と、痛感するところでもあり。
このあたりは、うまく言いきれませんなぁ…。

  • 福島県外で受けるかもしれない言動とか。

報道でもいろいろ言われているし、知り合いが実際にいわれた事もあって、
正直なところ、福島ナンバーの車で福島県外に行くのはちょっとこわい。


あと、ネットなどはどうしてもしょうがない面があるんだけど、
福島県民がリスクを知らない無知で憐れな人々みたいに言われていることがつらい。
いま福島に残っているのは、残らざるを得ない事情がある人もいるし、
残って放射線で受けるであろうリスクを承知の上で、
福島に暮らし続けることの大切さを選んだという人もいる。
それを、知りもしないのに人でなしみたいに言っちゃってさ…、って。


こうなってくると、今後この先長いこと、
何かを言われたり、されたりするっていうのは覚悟の上で、
うまくやり過ごしたり、対応するすべを身につけたほうがいいんだろうな。


その一方で、ネットを通じて県外の皆さんが福島について関心を持ってくれたこと、
たくさん心配してくれて、励ましてくれたことが大きな支えになってる。
ほぼ籠城状態だった時は周囲の人たちもかなり精神的に追いつめられていたので、
ネットで外の世界に繋がれたことでなんとか自分を保てた。
このネットの回線は、私の心のライフラインです。
とても感謝しているし、今後も頼りにさせていただきます。

  • "白か黒"ではなく、グレーに染まったその濃淡の中に。

放射線についての考え方は福島県民、そして郡山市民、人それぞれ。


今の郡山の放射線量は全く影響がないだろう、
なんていう人は少なくとも私の身の回りにはいない。
ただ、とてもナーバスになっている人もいれば、
なんかはあるかもしれないけど、考えてもしょうがないしね、まで、
人によって考え方の差が広がりつつある時期に来ている。


家庭菜園はやろうかよそうか、(さすがに露地のハーブはあきらめた…)
親戚や知り合いの作ってくれた野菜は検査していないけれど大丈夫かどうか。
町内や職場で草むしりや野外の清掃活動をすることになったけど
参加するかどうか、止めさせようかどうか。
感覚が違うから摩擦がそこここで生まれつつある。


このあたりを、じっくり乗り越えながら生活していくしかないんだろうな。


放射性物質がすごく小さな"黒"の点々だとして、
郡山に生きる私たちの身の回りはその点々でグレーの濃淡に染まっている。
真っ白な部分はないかもしれないけれど、
できるだけ淡いグレーの場所を選んで暮らしていく。
そして、できるだけ淡いグレーに近付けていく。


そういう考えでこの先もこの郡山で暮らしていきたいとおもう。